<   2015年 05月 ( 13 )   > この月の画像一覧

生徒達の感想文(写真)

杉並区松渓中学校に「職業人の話を聞く会」の感想文をこちらに転載する許可をお願いしておりましたが…

快諾して頂きました!

では早速。

d0275530_2295223.jpg
d0275530_2293850.jpg
d0275530_2292233.jpg
d0275530_229573.jpg
d0275530_2285097.jpg
d0275530_2283713.jpg
d0275530_2282449.jpg
d0275530_228920.jpg
d0275530_2275364.jpg
d0275530_2273929.jpg
d0275530_2271769.jpg
d0275530_2265259.jpg
d0275530_2253064.jpg
d0275530_2251082.jpg



中学1年生とは思えない程たくさんのことを考えて、今回の講義をとても真摯に受け止め、心にとどめようとしてくれていることが伝わります。その純粋な思いをいつまでもその心に、どうか、大切に日々を生きて下さい。

思いに向かって真っすぐに進むこと。
目の前にある階段を1歩ずつ着実に登ること。
そうすれば、いつか振り返った時には、自分でも驚くくらいの高さの景色が見えることでしょう。

杉並区だって世界の一部。
僕らも海外も地球の一部。
思いを馳せるなら世界の視点で。

今の君達は、世界中の同世代に決して負けてはいない。むしろ勝っている部分の方が多いと思います。
広い視野で、大きな器を心に持つ人になって下さい。

いま、同じクラスで、同じ学年で、同じ部活で、ライバルと思う子がいるかもしれません。それと同じように、地球の裏側の子も意識して、同じ世界のライバルとして負けないよう、実りある学生生活を精一杯に生きて下さい。


陰ながら、応援しております。
by courtine | 2015-05-29 20:35 | 日常

質問 ⑨、⑩、⑪、⑫。(タイトルが長過ぎるとダメなようです。)

⑨「何年くらいこの仕事をしているのか」

料理の道へ進んで21年。
フランス料理の道へ進み、フランス料理の仕事をしているのは約17年となります。


⑩「今出来ること」

やっと、フランス料理レストランを経営し、多くのお客様に笑顔でお帰り頂くことが出来るようになりました。

もちろんプライベートで友人宅に行って料理をする時もとても喜んで頂けます。
フランス料理に真剣に取り組んできたので、フランスでの修行時代も自分の料理を介して、友人がたくさん出来ましたし、家に招待されたり、ワイン畑に招かれたりしたことは、大きな財産です。


⑪「どのような思いで料理を作っているか。」

こだわりの項で綴りましたが、
私にとっての最高の食材を、余すところなく、おいしさという付加価値をつけて、命の美しさを盛り付けるように生命力あふれる一皿へ、変化させて、お客様の笑顔と、生命力へ繋げたいという思い。
ラ・メゾン・クルティーヌをもっともっと知って頂きたい、クルティーヌの料理で笑顔になって頂きたいと思いながら料理しています。


⑫「材料はフランスから輸入していますか。」

はい。全てではありませんがフランスから輸入された食材を使っています。
自分で輸入するわけではなく、輸入業者を介して仕入れています。
全ての食材がフランスのものではなく、国内の食材も使いますし、オーストラリア、イタリア、スコットランド、ノルウエー、カナダなど、世界中の食材から適切な食材を選び、料理しています。
ただ、フランス食材だからベストだ、とは考えていません。
盲目的にフランス料理にはフランスの食材を使うべきだとも考えていません。
同じ食材でも日本の食材の方が美味しい場合もありますし、別の国のほうが美味しい場合もあります。
どの国の農家の方々も一生懸命に育てています。 
もし日本のものと、品質と値段を考慮して甲乙つけられない場合は日本の食材を使うようにしています。(日本の農家さんを応援したいので。)



最後に、
今、『TBSテレビ60周年特別企画 日曜劇場 天皇の料理番』が放送されていますが、素晴らしい内容で、私は毎週楽しみにしております。
このドラマは、僕の友人知人はもとより、フランス料理に携わる大御所の方々も見ている(ここだけの話、シェ・イノの井上シェフや、北島亭の北島シェフも御覧になって共感されているようです。) それほどにとてもよく出来たドラマです。
細部はフィクションとなる小説ではありますが、主役の秋山徳蔵料理長は実在した偉大なシェフで、その経歴を元にした作品です。是非御覧頂くことをお勧め致します。


最後までお読みくださり、うれしく思います。
この手紙が君達の将来への一助になれば幸甚です。
by courtine | 2015-05-28 09:00 | 日常

質問⑥「勤務時間」 ⑦「メニューは誰が考えているのか。」⑧「いつ今の仕事になりたいと思ったか。」

「勤務時間」

9時に出勤し、途中賄いを食べ、その後、休憩1時間を挟んで、暇な日は21時まで。忙しい日は24時頃まで。
料理を追求し、精進し、創造し、形にし、お客様に提供してゆく料理人(職人)の仕事は、やはり、料理に携わる時間が長くなります。



「メニューは誰が考えているのか。」

全て私が考えています。
過去のレストランで提供した料理を元に考えたり、古い文献から新しいメニューのヒントを貰ったり、食材をてにとった時の香や手触りから新たなインスピレーションが生まれることもあります。


「いつ今の仕事になりたいと思ったか。」


シェフになりたいと心に思ったのは小学5年生の頃。
小さな頃から料理は好きで、両親の帰宅が遅い時は、妹のために食事を用意したりもしていました。
小学5年の頃に従兄弟の兄が和食へ進むことを知り、それならば自分は洋食の道へ進もうと決めたのを覚えています。
そして小学5、6年のクラブ活動は料理クラブに所属することにしました。

フランス料理のみちへ進むことを決めたのは、22歳の頃でした。
小学校を卒業し、中学生時代は、シェフになろうという思いを強く抱いていた訳ではありませんでしたが、心の片隅に置きながら、まずは学業に専念し、教養と知識と体力を蓄えておりました。部活は小学2年生の頃から続けていた剣道部に所属し、そのおかげで体力にも自信があります。
今思えばとても必要な期間だったと思います。
料理人(職人)は、勉強の落ちこぼれがなるようなイメージを一般的に抱かれていた時代もありますが、それは間違いです。きちんと勉学に励み、教養を備えていないと、後々それが足枷となり思うように知識や技術を吸収出来なくなります。(私がフランスへ渡った時、フランス人と親しくなれたのは、自国の文化や、歴史をきちんと伝え、彼らの質問に堂々と答えることが出来たことも大きな要因だと思います。彼らは日本に興味津々でした。)
きちんとシェフを見据えて料理人の道を目指すなら、最低でも高校までの勉強は他の職業を目指す方々と同じように、出来ればそれ以上の成績であるように努力するべきです。今は、大学を出てから料理人を目指す方も多くなりました。大学の建築の知識を活かした料理を作るシェフなどもおられます。
私は高校2年生の春頃に、3年生の就職活動に混じって、たくさんの求人票や資料に目を通し、就職先を決め、2年生の夏には面接へも行きました。
やはりそういう前向きな姿勢は、自分が求める就職先にとても好印象であることは間違いありません。そして、その職場(ホテル)で働き始めて3年後、フランス料理レストランに配属され、素晴らしいシェフと出会い、話を聞いたり、部屋から溢れんばかリのフランス料理に関する書物を借りて読み進むうちに、フランス料理の魅力に心を奪われてゆきました。



次回 質問⑨「何年くらいこの仕事をしているのか」
     ⑩「今出来ること」
     ⑪「どのような思いで料理を作っているか。
     ⑫「材料はフランスから輸入していますか。」
by courtine | 2015-05-27 09:00 | 日常

質問⑤「こだわっている部分」  後編

胡椒は3000年とも言われる長い歴史を持ち、インド・バラモン教の聖典に既にその名が登場しています。同じころに作られた叙情詩「ラーマーヤナ(ラーマ王子の冒険)」にも、「塩と胡椒で食べる食べ物」という記述があり、既にこの香辛料が一般化していたようです。
この香辛料はほどなく、アーリア人(インド系ヨーロッパ人)の手を経てヨーロッパに伝えられ、古代ギリシアやローマで頻繁に使われていました。

当初は食用(香り、味を楽しむもの)というよりは、「医薬品」としての側面が強いようで、「医学の父」と呼ばれた紀元前5世紀ごろの医学者ヒポクラテスは、その著書の中で「胡椒と蜂蜜と酢を混ぜたものは婦人病に効く」と書き残しています。
以後2000年以上に渡って「香辛料の王」としての地位を確立していくことになります。


胡椒が最も活躍した時代は、古代ローマかもしれません。この時代には、通常の料理だけでなく、ワインや魚醤(魚から作った調味料)にも混ぜて使われ、当時の書籍にも胡椒を意味する言葉が頻繁に出てきます。
あまり暖かくないローマでは、胡椒を育てることはできないので、常に高値で取引され、その保有量は権力と財力の証になりました。インドへ向かう船は胡椒と交換する金銀で一杯になったと言います。
使用する時は、この胡椒を面子にかけても使いまくったので、宴会のたびに莫大な金銀と胡椒が消費されたそうです。
この頃消費される胡椒は、だいたいがインド原産の長胡椒で、丸い胡椒はあまり使用されず、長胡椒が白・黒胡椒より高く取引されました。

1世紀の博物学者プリニウスは、著書「地域史」の中で「野生生物の種に過ぎないのに金銀と同じ値段がする!」と書き残していますし、同じころのローマ皇帝ドミティアヌスは、戦略物資としてこの香辛料を大量に保有していました。
1世紀のローマでは金や銀と胡椒が同重量で交換されていたようで、一つかみの胡椒と、牛一頭が交換されたとも言われます。


12~14世紀になると、従来の長胡椒に替わって丸い白・黒胡椒が使用されるようになりますが、高価である、という部分は替わらず、しばしばその高い価値から、法定通貨や”年貢”として通用することもありました。中世ドイツでは、役人の給料を胡椒で支払ったと言いますし、また、罰金や持参金、税金の代わりに胡椒を収めるのは、中世ではよく見られる光景となりました。

イギリスでは、地主たちが小作料を胡椒で支払うよう要求したとも言われ、その名残は今でも、「名目だけのわずかな家賃:賃貸料」を意味する「ペッパーコーン・レントPeppercorn Rent」という言葉に残っています。

胡椒はまた、シルクロードを経て中国にも運ばれ、一部地域では栽培も行われています。マルコ・ポーロの「東方見聞録」にも、中国の杭州(上海に近い中国南部の暖かい地域)では、かなりの量の胡椒が栽培された、ということが記されています。
また、胡椒の一大産地であるジャワには、多数の中国人が常駐し、彼らが中心となっていくつもの秘密結社(胡椒マフィア)が結成されました。彼らの脅威から逃れるために、一部の国は取引の本拠地を他に移さざるを得なかったこともあったそうです。

日本には遣唐使を通じて奈良時代に持ち込まれており、東大寺正倉院の宝物にも、胡椒の実が含まれていたことが記録から分かっています。


胡椒は寒いヨーロッパでは育てられません。遠いインドから運ばれたものに頼らざるを得ず、中世ヨーロッパでも目の飛び出るような値段で取引されたそうです。
ヴェネチアやコンスタンティノーブル(現在のイスタンブール)は、胡椒の交易で大いに栄え、それは東ローマ帝国が存在し続ける限り続きました。

1453年に、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)がオスマン・トルコ軍に滅ぼされると、シルクロードがトルコで分断され、胡椒の陸上ルートが分断されます。
そこで、各国はシルクロードに替わる、新しい輸送ルートの開発へ躍起になりました。のちに「大航海時代」と呼ばれるほどの多くの冒険が行われた背景には、胡椒をはじめとする香辛料の獲得、という目的があったと言われています。

アフリカ周りのインド航路を発見したバスコ・ダ・ガマの持ち帰った数々の香辛料は、仕入れ値の60倍の値段で売られたと言われていますし、また、マゼラン艦隊が船に積んだ7万ポンド(約32トン)の香辛料は、航海費用を差し引いても、なお巨額の「お釣り」がくるほどの利益を、乗組員にもたらしたそうです。

ポルトガルやオランダといった新興国は、これらの香辛料の輸送ルートを確保することで、海運の覇権を握ったとも言われています。

こうして運ばれてきた胡椒は、古代ローマ・ギリシアと同じように、中世ヨーロッパでも権力と財力の証として使われるようになり、貴族は料理にこの香辛料をこぞって使いました。彼らは、それらをふんだんに使うことで、自分がいかに立派で、多くの財産を持っており、気前がいいかを誇示したのです。

いまとは価値観が全く逆ですが、当時の宮廷で言う「高級な料理」とは、お金をかけ、より珍しい食材を遠方から求め、鮮度の落ちたその食材を高価である香辛料を惜しみなく使い腐敗を防ぎ、香り付けをしたものでありました。

鮮度の良いものが手に入る現代、より味わいの複雑さ、香りの厚みを求める高級フランス料理やイタリア料理などでは、当時の宮廷料理から派生した香辛料を使う料理の流れが残っています。

しかし、それは、王朝が崩れ、地位ある宮廷料理人が野に追いやられ、それでも生きる為にレストレー(元気を回復する場所という意味)を開き、安価なポトフを振る舞い、必死で努力した結果、民衆の支持を少しずつ得て、少しずつ料理の質を高め、レストランとして確立していく変革の時代が背景にあります。
偉大と言われるシェフ達の緻密な洗練と努力の過程を経て、継承されてきたテクニックや、感性は、今もなお色あせず、西洋料理の礎となり、胡椒は”スパイスの王”であり続けています。



次回 質問⑥「勤務時間」
   質問⑦「メニューは誰が考えているのか。」
     ⑧「いつ今の仕事になりたいと思ったか。」
by courtine | 2015-05-26 09:00 | 日常

次回  質問⑤「こだわっている部分」  前編

「こだわっている部分」

こだわりは、実にたくさんあります。

まず、当店がパリの14区に実在したレストラン、ラ・メゾン・クルティーヌの名前とルセット(レシピ)、エスプリ(精神、知性、才気という意味合いですが、ここでは価値観や考え方や、精神性という意味で)を引き継いで、阿佐ヶ谷で二代目として続けているというところへのこだわりがあります。

クルティーヌの料理は、初代であるイヴ・シャルルの料理に対する思いや、感性、考えをベースにして、その上に私の料理感や、感性をのせて料理を提供しています。 
加えて、初代に対するオマージュ(尊敬、敬意)として、パリ当時に人気のあった料理は、当時のままスペシャリテとして残しています。
5月のメニューですと、「和牛ハツのポワレ ソース・フォンドヴォー・リエ」 や、 「活オマール海老のロティ ミソとバジルの2種ソース」、が当時のままのスペシャリテにあたります。(ラ・メゾン・クルティーヌのホームページのメニューのページで見ることが出来ます。
http://www.courtine.jp/dinner.html)


私個人の料理に対するこだわりとしては、
食に哲学をのせます。哲学を根底に置き、料理に向き合うということです。

私にとっての哲学とは、生と死を学ぶこと。
命は生まれ消えゆくのではなく、命は生まれ引き継がれるものだという思いを大切にしています。

私は、今日までいろいろなレストランで働き、すばらしいシェフたちや同僚から技術を、いままで出会ったたくさんの方から、いろんな角度からの価値観を学んできました。
その全ては、命の尊さのために発揮されるべきものなのだと信じています。


食材と呼ばれる全ての命を、余すところなく最良のかたちで、みなさまの生命力へとつなげたい。
ですから、食材を仕入れる先の農家さんや漁師さんが、命をいかにレスペクト(尊敬の念)をもって大切に扱っているかを重視しています。
そしてその食材がいかに生命力にあふれた環境で育ってきたかを尊重します。
これが私にとって最高の食材です。

余すところなく、おいしさという付加価値をつけて、命の美しさを盛り付けるように生命力あふれる一皿を創る。

時には繊細に、時には豪快に料理し、お客様が命を感じ、引き継いでいると実感していただけることが、私の喜びです。

そして、その料理を召し上がるためのカトラリーにもこだわります。
http://new.veritacafe.com/archives/4621022.html
http://winc.exblog.jp/18837078

ラ・メゾン・クルティーヌのテーブルにセットされたカトラリー。

そのテーブルナイフには“9,47”と書かれています。

このシンプルで、洗練されたカトラリーは、フランスの伝統あるナイフの町、オーベルニュ地方のティエール村の、日本ではまだあまり知られていない新進気鋭のナイフ専門店のものです。
ラ・メゾン・クルティーヌ日本OPENに合わせて、フランスから直接取り寄せました。
僕の中で、他のカトラリーを使うことは考えられなかったからですが、その理由の一つに、こちらのテーブルナイフがフランスのレストラン業界でかなりシェアを広げてきていることが挙げられます。
フランス料理界の重鎮アラン・デュカスや、アラン・サンドランスのレストランにも採用され、パリ随一と呼ばれる肉屋のユーゴ・デノワイエーが依頼したステーキ専用モデル“888”までも存在します。このナイフ専門店、店名を“ペルソヴァル”と呼び、この“9.47”と呼ぶテーブルナイフが、非常に評価され、不動の地位を確立しつつあります。
じつは、この“9.47”はラ・メゾン・クルティーヌの初代オーナーシェフ、イヴ・シャルルが、2007年に当時パリの一つ星レストラン、ラ・メゾン・クルティーヌを僕に任せ、パリとオーベルニュを行き来しながら、作り上げたこだわりのナイフなのです。それは親交の深いオーベルニュのワインの作り手ペイラーがレストランに来たおりに持っていた一本のナイフが始まりでした。
その後イヴはそのナイフ職人と意気投合し、理想のカトラリーを目指すことになります。そして、イヴとナイフ職人を引き合わせたペイラーの最高のワイン”9,47“の名をナイフにつけることで、ペイラーに対する感謝を表すこととしました。

こうして、食のスペシャリストといえる一つ星を持つシェフが手がける理想のカトラリーが誕生しました。


彼のこだわり。それは、低温での焼き入れであったり、重さであったり、重心の位置であったり、素材に含まれる金属の配合バランスであったり、切れ味をよくする為のフォルムや手入れの仕方であったりしました。
そしてついには、デザインの一部であった艶をつけたり、消したりということを、きちんと理を持って、その2つの特徴から生まれる長所短所を活かし、カトラリーに艶のある部分と、消す部分をつけることに至っています。
僕は当時から、イヴが、レストランとは違うこの新しい事業に乗り出す展望や、思い、情熱を聞いてきたので、今日、日本のラ・メゾン・クルティーヌにおいて、イヴ・シャルルが手がける、このカトラリーを扱えることを、イヴとともに非常に充実した思いと満足感を持って、誇りとともにテーブルに並べております。



その他、私がこだわっている部分はたくさんありますが、それらは、私のブログ
「クルティーヌ・ログ」http://courtine.exblog.jp
に綴っています。


塩、胡椒、熟成肉、コンソメスープなど、たくさんありますので、ご興味がありましたら、読んでみて下さい。
こちらでは、塩と胡椒について転載しておきます。


料理で一番大切なのは”ビヤン・アセゾネ・ビヤンキュイ(良い下味と良い火入れ)”です。
その下味に必要な塩、胡椒にこだわっています。
まず塩を使い分けます。

・フルール・ド・セル・ド・ゲランド (塩)
大西洋に囲まれたブルターニュの半島(フランスを大雑把に星形に見た時の左手のあたり)の南側にあるゲランドと呼ばれる、様々な野鳥達が集まる場所。
ゲランドの塩職人達は、この地で1000年以上も先祖代々から伝わる製塩法をかたくなに守っています。
干潟の高低差によって塩田に海水を引き込み、太陽と風邪の恵みだけでゆっくりと結晶にする塩。いろいろと海のエキスが含まれる為、滋味豊かな証となるわずかに灰色を帯びた白。
収穫後、さらさらに保つ為の個結防止剤は一切添加されていないので、わずかにしっとりと水分を含んでいる。
塩田の水面に最初に浮かぶ小さな白い結晶(静かに浮かんでいるので、ひと雨降っただけで台無しとういう儚さ。)を“花びらを摘むように”手作業で丁寧に収穫した希少な塩。そこから「フルール ド セル(塩の花)」という名で呼ばれるようになったそうです。
びしっと鋭角。それでいて真の太い塩味ベースで、にがりを良く感じる。苦味、こく、甘み、鼻を抜ける海の香りが全体を柔らかい印象にする。なんかバリっぽい。洗練された感じ。

・ソニエ・ド・カマルグ ベルル・ド・セル(塩)
地中海を望むローヌ河口のデルタ地帯カマルグ西部にある、"エグモルト Aigues-Mortes"。
その塩田で作られるカマルグ産の塩は土壌の性質のおかげで、精製していないにもかかわらず、美しい純白色です。
こちらでは最初に塩田の表面に現れる物を『ベルル・ド・セル(塩の真珠)』と呼び、生産者は『ソニエ(塩を作る人)』と呼ばれます。
カマルグを訪れると、スペインに近いので、トロ(闘牛)を見れたり、野生のフラミンゴの群れがいたり、真っ白な白馬がお出迎えしてくれる、非常に美しい湿原が広がる場所でした。
ちなみにこのあたりの海は、うっすらピンク色に見える事があります。プランクトンや、小さな海老が沢山集まってそう見せるようで、「だからそれを食べるフラミンゴはピンク色なのだよ!(ホントか?)」だそうです。
丸みのある、それでいて重心の低い塩味ベースで、苦味、こく、甘み、鼻を抜ける海の香りが全体を柔らかい印象にする。海の味をそのまま凝縮させた感じ。なんとなく田舎っぽい。のどかな感じ。



続いて胡椒も使い分けます。

胡椒は風味が飛びやすく、特に挽いた後はすぐに香りが逃げてしまうので、本当にその風味を楽しみたいのであれば、粒のままで保存しておき、使用のたびにペパー・ミルで挽くのがベスト。
ボウリングのピンみたいな”あれ”です。
円筒形のボディに擬宝珠のようなハンドルの付いたもので、安価なガラスとプラスチックヘッドから成るものから、木製の、デザインに優れた芸術品まで、いろいろな種類があります。

有名なのはやっぱりプジョー製で、高級品。クルティーヌでもプジョーのミルを使用しています。
フランスの車といえばプジョー社というくらい有名で、車の部品を作るのと同じ精密な技術(螺旋歯車の二重構造が粒を集め、装置の下部へ導き、粉砕前に固定する。)を駆使して作られたミルは、非常に軽く挽けて、使いやすく、壊れにくい。
臼の部分が摩滅しないのも特徴で、その部品に関しては、永久保証を謳っている。適切に使えば、50年でも100年でも使える(はず)。
実際、今、クルティーヌで使っている大振りのミルの一つは結構な年代物で、イヴ・シャルルから受け継いだものだけれど、今あるミルの中では一番使いやすく、一番使用頻度の高い胡椒を入れています。


胡椒は、唐辛子、辛子(マスタード)と並ぶ、世界三大香辛料のひとつです。
ちなみに大航海時代の三大香辛料は、胡椒、丁字、ナツメグだった様ですし、その後シナモンが加えられ四大香辛料とも呼ばれていました。
実は、唐辛子は、コロンブスがアメリカ大陸を発見して初めて世界に知られ、瞬く間に広まった比較的最近のスパイスです。

胡椒は「スパイスの王様」とも言われ、中世のヴェネチア人は、この香辛料を指して「天国の種子」と呼びました。

胡椒は、抗菌・防腐・防虫作用があるので、冷蔵技術が未発達の中世では、王宮料理に欠かすことのできないもので、食料を長期保存するためのものとして極めて珍重されています。
ヨーロッパの様々な料理に使われて、その影響を受けたその他の地域の料理でも使われています。ですので、インドへの航路が見つかるまでは、ヨーロッパでは非常に重宝されていました。
あの十字軍、大航海時代などの目的のひとつは胡椒であったとも言われています。

中国では西方から伝来した香辛料という意味で、”胡椒”と呼ばれました。(胡は中国から見て西方・北方の異民族を指す字、椒は香辛料という意味です)。日本には中国を経て伝来しており、そのため日本でもコショウ(胡椒)と呼ばれます。トウガラシが伝来する以前には辛味の調味料として現在よりも多用されていて、うどんの薬味としても用いられていました。
現在でも辛味の調味料としてさまざまな料理に用いられています。(「胡椒茶漬け」という料理があったという記録もあります)

余談ですが、日本の九州北部地方をはじめ各地で、南米原産の唐辛子の事を”胡椒”と呼ぶ事もあります。主に九州北部にて製造される柚子胡椒などは唐辛子を使います。

さて、この胡椒ですが、大きく分けて、白胡椒(ホワイトペッパー)と黒胡椒(ブラックペッパー)、そして緑胡椒(グリーンペッパー)と赤胡椒(ピンクペッパー)があります。

この色のヴァリエーションの意味を知るのに、まず胡椒が植物の果実であることを知ると分かりやすいと思います。
果実なので、ご想像通り最初は緑色。そして完熟に達すると真っ赤な果実となります。

では白胡椒から。
白胡椒は完熟した赤色の果実を水に浸して果皮を柔らかくし、その果皮を除去して天日乾燥したものです。
果皮がないので、色は白く、風味もマイルドなので、魚介によく使われます。

黒胡椒は完熟していないまだ緑色の果実をそのまま天日で乾燥させたものです。
表皮も残っているので香りが強く、臭みを消したい時や胡椒独特のシャープな香りや辛みを残したいときに使用します。

緑胡椒は黒胡椒用果実と収穫するタイミングは同じですが、乾燥方法で違いが現れます。
天日乾燥ではなく、黒くならないように塩漬け、乾燥機、近代ではフリーズドライ(凍結乾燥)させる方法のものもあります。
さわやかな香りと辛み、きれいな緑色が特徴で、彩りを添えながらペッパーの風味をつけることができます。

赤胡椒:ピンクペッパーと呼ばれるスパイスは、ウルシ科のコショウボクという植物の果実を乾燥させたものが一般的です。正真正銘の赤い胡椒である胡椒の熟果(赤色)を乾燥させたものや、バラ科の西洋ななかまどの実を乾燥させものを使用する場合もあります(クルティーヌでは西洋ナナカマドを使用)。
胡椒の熟果を乾燥させたものには辛みがありますが、コショウボク(胡椒の果実に似た果実を付けるのでコショウボクと呼ばれ、“木”です。胡椒は”つる植物”で木ではありません。)や西洋ななかまどのピンクペッパーは、辛みがないタイプとなります。 料理を華やかに仕上げる彩りや、独特のフルーティーな香り付けとして利用します。西洋ナナカマドのピンクペッパーは香りが非常に強いので、使用の際、一皿に三粒までとクルティーヌでは決めています。


では、胡椒の香りや、味わいについて話を進めてゆきます。

料理をする上で、胡椒はまず大きく2種に分けることになります。
それは、原産地の名を冠する胡椒か、冠することの出来ない胡椒か、です。

原産地の名を冠せない胡椒とは大量生産によるコストダウンを求めた胡椒です。それが一般的に流通している胡椒となります。

原産地の名を冠する胡椒は、品種にこだわり、新鮮な実にこだわり、その鮮度を保つようすぐに加工され、その後長い時間をかけて乾燥させる。手間と産地の人々の誇りの詰まった胡椒です。 

当然、香りと味わいに大きな隔たりが起きます。(そのぶん価格にも大きな隔たりがありますが・・・)
それに加え、原産地呼称のない胡椒は、わずかにアンモニア臭が感じられ、蒸れたような辛みをもつ傾向があります。大量生産が招いた大きな短所といえます。 
 
原産地の名を冠する胡椒は、香りがじつにふくよかで、透き通った辛み。産地により、様々な特有の香りを持ちます。
有名なところでは、インド産のマラバル胡椒、デリチェリー胡椒、アレッピー胡椒、マンガロール胡椒、インドネシア産のランポン胡椒、ムントク胡椒、マレーシア産のサラワク胡椒、ブラジル産のブラジル胡椒などです。

ラ・メゾン・クルティーヌでは、胡椒もやはり選び抜いています。
初代オーナーシェフであるイヴ・シャルルは、8種類の胡椒を使い分けていました。
友人の一人にスパイス商がいて、世界中を旅して回り、3ヶ月~半年に1度クルティーヌを訪れる際、まとめて買い取り、特別な場所で保存していました。

当時は サラワク白胡椒、サラワク緑胡椒、モンゴ白胡椒、長胡椒、キュベベ胡椒、西洋ナナカマドのピンクペッパー、そして、原産地を冠さない白胡椒と黒胡椒。
現在は、日本では入手できない(というよりシェフの友人スパイス商以外からは入手できない?)モンゴ胡椒はあきらめ、ムントク胡椒を使用しています。


胡椒は熱を加えると香りを発します。

ですので、肉を焼く前に胡椒をしてもすべての香りが霧散してしまい、意味があまりないと私は考えます。しかも香りの抜け殻となった胡椒の粉が焼けてしまい、焦げた匂いをもたらすリスクが高まります。

ですが、マリネとなると話は変わります。
胡椒の香りを移してから焼き上げる。この場合は、肉に香りを移し、防腐効果、抗菌効果の恩恵も与えます。火が入ったあとも香りが消えてしまわぬよう荒く砕いたものを使用します。焼く際は、肉も、胡椒も焦がさぬよう、細心の注意が必要となります。

他にも、スープや、ソースのベースを作る際に胡椒が入りますが、時間をかけて胡椒から香りを抽出するので、粒のまま使用。穏やかな香りを抽出し、不要な辛味は極力出ないようにする為です。

このように、火を入れて使う場合は、アンモニア臭も揮発し、気にならなくなるので、安く、原産地呼称のない胡椒を使います。その香りは他となじんで旨味となるため、得られる効果は高価な原産地呼称を有する胡椒を使用する場合とほとんど変わりませんし、同時に使用するその他の材料により、料理の出来上がりに反映される胡椒そのものの個性はだいぶ薄くなります。

原産地呼称を有し、原産地によって全く違う個性と香りを持つ胡椒をここで使用しても高価なその価値に見合った効果は得られないということです。

では、原産地の名を冠する胡椒はどのタイミングで使うのが効果的でしょうか。
胡椒は挽いた瞬間が一番香りが活きています。火を入れたら一気に揮発してしまう。

ですので、”料理の一番最後に挽く”ということになります。

それが冷たい料理ならば、最後の味の調整時に使用し、すぐにお皿へ盛り付けます。
それが暖かい料理ならば、温めたお皿に盛りつけたあつあつの食材に提供直前に一振りします。まだ熱を持つ食材、熱を持つその皿に振られた挽き胡椒は一気に香り立ち、テーブルまでその香りを振りまくことになります。


では、ラ・メゾン・クルティーヌの胡椒の紹介です。

<サラワク白胡椒> マレーシア産魚介全般に使用します。白身、特に舌平目との相性は抜群。 ほのかな酸味を有します。どのような料理に使用しても、その香りが邪魔になるということはほぼないと言える万能な胡椒。

<サラワク黒胡椒> マレーシア産 肉料理全般ほぼすべてと相性が良い。

<モンゴ胡椒> インドネシア産 少し木の香りのニュアンスを持つ柔らかい味わいの胡椒。香りの強さ、辛味、個性が、主張しすぎず、おとなしいところでバランスの取れたタイプ。魚では鮟鱇。肉では仔牛や、乳製品、リ・ドヴォー、兎。そして薫香、オリーブとの相性は抜群。

<ムントク白胡椒> インドネシア産 乾いた木の香りのニュアンス。モンゴ胡椒のバランスに近いが、モンゴに比べ若干辛味が鈍い。

<長胡椒> 石垣島産 その個性溢れる力強い古代の香りは、内蔵料理、仔羊との相性抜群。ヴァニラやシナモンのニュアンスも。ほのかに甘い。

<キュベベ胡椒> インドネシア産 フルーティーな華やかな香りで、香りは強め。ほのかに甘い。デザートや、サラダに。 特に苺との相性が際立つ。

<ピンクペッパー> フランス産 バラにも似た香り。使いすぎると香水のような印象になるので、少量をアクセントに。鶏、サラダ、ライチと相性がいい。唯一、ペパー・ミルが必要なく、必要な際に指で砕いて使用。

<緑胡椒> インド産 仔牛、豚、コニャック、貝類、乳製品との相性がいい。


そして、原産地の名を冠せない白胡椒と黒胡椒は、火入れ用で、黒胡椒は香りをしっかり効かせたいものや、シャリュキュトリー(食肉加品。ソーセージやパテ等)系に使用。 白胡椒はその他全般。

世界の歴史に深く関わり、戦争の要因にもなった胡椒。

次回はもう少し遡って史書を紐解いてみます。


次回 質問⑤「こだわっている部分」  後編
by courtine | 2015-05-25 09:00 | 日常

質問②「職業病はありますか。」  ③「人気メニューは何か」  ④「シェフになるまでに苦労したこと。」

質問②「職業病はありますか。」

正直、この質問を書かれた生徒の目の付け所に感心してしまいました(笑。
職業を知るのにこの点は知っておいた方がいいことですね。他の職業のこともきちんと理解して、職業病に対する予防策を考えながら仕事を始めることは、ずっとその仕事を続けていくためにも、楽しく仕事を続ける上でも、まさに大切な知識ですね。


「職業病はありますか。」

・料理人は重い大きな鍋を使うことが多く、腰を悪くしがちです。
その対策としては、
重い鍋は、脚力を意識して使い持ち上げる
持ち手を痛めない腕を組むようにする持ち上げ方を実戦する
無理せずに出来るだけ二人で持ち上げ、運ぶようにする

などが挙げられます。

・腱鞘炎になりやすいことも挙げられます。
腱鞘炎は、片手で鍋を持ちながらソースをかけたり、付け合せの野菜を盛り付けていると、左手首に負荷が長い時間かかり、それが慢性的に続くことにより、左手首の炎症を起こしてしまうことが多いように感じます。
この対策としては、腱を常に同じ方向に伸ばしていることの無いよう、定期的にストレッチや、柔軟などの違う動きをさせることです。

・虫歯になりやすい。
これは、味見を頻繁にするので、とても気をつけなければなりません。
虫歯になったり、歯の本数が年齢とともに減ってしまうと、味覚が正常に機能しなくなるので、料理人にとっては致命的。
毎食後、1日3回、歯を磨くように心がけています。


上記3点を伝えました、が、いま、もうひとつ生徒達に伝えておけば良かったことに気付きました(汗。

それは「手荒れ」
改めて後ほど中学生達にも伝えたいと思います。
上記3点は、発症したら結構致命的なものです。腰を悪くしたら体力仕事全般厳しいでしょうし、腱鞘炎は本当につらいものです。重度になると箸も持てなくなる。虫歯は、口内の味覚に即、影響します。歯がなくなるともっと顕著ですし、入れ歯になったらそれこそ味を遮断してしまう。長く料理人を続ける上で考えなければいけない大切な職業病ですね。しかし、手荒れも、皮膚の弱い方には致命傷になるようです。

・手荒れ
調理場に配属されると、まず皿洗いからです。とにかく、皿洗いを徹底してやらされ、衛生観念、仕事の要領、手順、優先順位などを学びます。まずこの皿洗いで先輩に認めてもらえないとはじまりません。逆に、皿洗いを見事にこなせるようでないと、見事な料理が出来るはずもありません。 ここは、最初の正念場だと思って必死にやるところです。
が、ここで手荒れがひどくなってしまう。 かといって主婦のように毎回ゴム手袋をしていては、仕事になりません。冬の乾燥する時期、手荒れはより酷くなります。
あかぎれたリ、ひび割れたりすると、そこから出血してしまったりして、手を衛生的に保てなくなるので食材に触れません。ゴム手袋をするのですが、1年じゅう手袋をして働くわけにもいかないでしょう。
手荒れが原因で料理人の道を断念した将来有望な料理人もいました。
皮膚が弱い体質の方には、料理人の道は厳しいのかもしれません。
料理人は皆、手荒れのケアを意識して行なっています。


「人気メニューは何か」

・ラ・メゾン・クルティーヌの人気メニューは
・熟成肉 (自家製で、大きな塊のまま100日以上熟成させた骨付きの牛肉)
・牛頬肉の赤ワイン煮込み (牛頬肉を赤ワインでマリネしてから、仔牛の出汁とその赤ワインでじっくり煮込んだ料理)
・馬鈴薯を纏った赤座エビ (ラングスティーヌ(赤座エビ)をマリネして馬鈴薯で巻き、鴨の脂で揚げた料理)
・月替わりのフルコース( 今月は 5月に旬を迎える食材と薔薇のフルコース)
・パリの頃からのスペシャリテ(スコットランドサーモンの柑橘マリネ、豚足のクルスティヤン、ラングスティーヌのラビオリ、オマール海老のシャンパンソース、ゲランドの大粒灰色塩を皮目に焼き付けたマグレ鴨とフォアグラのロッシーニ、カスレ (南仏の郷土料理)、チョコレートのスフレ、などなど・・・)

 ④「シェフになるまでに苦労したこと。」

料理人もやはり苦労がたくさんあります。
まず、海外の料理技術を学ぶ為に、辞書を買い、言葉、調理器具の名前など、フランスの言葉を勉強しなければなりません。フランスの文化や、歴史を知る必要もあります。ゆくゆくはその調理法はどうして生まれたのか、どのような時代背景に、どのような環境で生まれたのか、どういう利点があるのかまたは短所があるのか、を理解しなくてはなりません。
食材を仕入れてから仕込みをしてお客様に提供する間にたくさんの行程があり、その行程の全てに技術や知識が必要なので、苦労をしながら努力して身につけてきました。もちろん、20kgの豆の皮をひたすら剥かなければならないような単純作業も長い時間やらなければならなかったり、とても細やかな気遣いが必要な作業を苦心しながら進めることもあります。
下働きの頃は皿洗い、鍋磨きなど後片付けのほとんどをさせられますし、日に何度も調理場の掃除をします。体力的な苦労もありますが、立ちっぱなしで仕事をするので慣れない頃はまず足がパンパンになります。
料理人はかなり長い時間料理に従事しますので、睡眠時間も少なくなります。当然、自分の所為で周りに迷惑はかけたくないので、体力維持、体調管理は最低限きちんとしなくてはいけません。技術を向上させる為の苦労もありますし、普通の社会人と同じように、一般的な苦労のほとんど全てが該当します。人間関係で苦労することもありました。
その他にも、最良の食材を得る苦労や、害虫やネズミを寄せ付けないための衛生管理の苦労などもあります。

「だから、お客様が喜んで下さると嬉しく、だからシェフになれると嬉しく、だからこれからも苦労をし続け、その先の喜びへと繋げていこうと思う。」

のです。苦労によって、自分が成長していることに気付けるようになると、苦労がそれほど辛くはなくなります。

ですが、苦労が徒労に終わってはいけません。苦労をした分、笑顔を頂けるように、知識を増やし、技術を磨き、自分が生み出す料理を洗練させてゆきます。そうすると、苦労は、楽しさ、やりがい、喜びとイコールになってゆきます。

苦労が楽しみに繋がることに気付く。
苦労をするとやりがいが芽生える。
お客様が、必要としてくれて、その結果、笑顔になってくれると、苦労を気付いてくれる喜び、苦労を感謝してくれる喜びが生まれるので、どんなに大変で苦労しても耐えられます。

先程書いたように、その苦労が全く理解されなかったり、がっかりされたり、苦労しても失敗してしまったりと、徒労に終えてしまうのことが一番つらいことです。
そうならないように、努力して、技術や、知識や、人間性(特にこの人間性)を磨いくことが大切です。

人間性で大事なのは、
笑顔の素敵な人になること (気持ちよく笑える人になって下さい。ここだけの話、鏡の前で笑う練習をするのも大切です。周りには気付かれないように隠れて練習して下さい。努力は隠れてするものです。ですがその結果は、隠すことは出来ないし、隠す必要はありません。)
素直であること (自分を知り、嘘や、虚妄でかためない。等身大の自分でいられるように)
感受性が豊で、表情豊かで、負の感情を正の感情で律することが出来るようになる、又は、そう努力すること(現実をきちんと理解し、現実を受け止めた上で、ネガティブではなく、常にポジティブな考えを持てるようになること。)
我慢強く、精錬潔白を心がけること。
だと思います。

人間性は、学校で、友達との間で磨くことの出来るものです。自分を磨くのです。社会人になってから出会う多くの人々が自分に好感を持ってもらえると、苦労は少し軽くなります(もちろん学校生活でもそうでしょう)。
へりくだるのではありません。下手に出るのとは違います。ゴマをするのとも違います。世渡り上手を目指すのではなく、1人の自立した、立派な大人(君たちが思う通りです)を目指して下さい。

例えば、出会った先輩に人柄を気に入って頂ければ、技術や知識をどんどん教えてもらえるようになります。
例えば、出会ったお客様に人柄を気に入って頂ければ、自分が携わる料理に興味を持って頂けます。
例えば、出会った同僚に人柄を気に入って貰えれば、仕事で力を合わせやすくなります。



次回 質問⑤「こだわっている部分」 
     
by courtine | 2015-05-24 11:23 | 日常

質問①「イタリアンとフレンチの違い」

「イタリアンとフレンチの違い」

いきなりここからか…。

講義でもざっくり(かなりざっくり)話しましたが、やはり詳しく知りたいのでしょう。

正直どこまで掘り下げて書けばいいのか・・・、当初非常に困りました(汗。

悩みに悩んだ末に行き着いたのは、インターネットのウィキペディアをそのまんま引用すること(不甲斐なくてすいません…)。

け、決して楽をしたかったわけではなく、出来る限り正確に、簡潔に、分かりやすく、を真摯に考えたすえのウイキさんでした。

と、いう前置き(言い訳を)を少し汲んで頂いて、この題目にご興味のある方はどうぞ御覧下さい。


「イタリアンとフレンチの違い」

インターネットのウィキペディアに ”イタリア料理” として詳しくのっているので、そちらから引用しながら、私見を伝えたいと思います。

引用。
イタリアンは素材を生かした素朴な料理が多い。
南北に長いイタリアは地理的にも多様な特徴があること、イタリア王国による統一まで多数の独立国家があり、その国ごとにまったく特徴の異なる、例えば、ナポリ料理、ジェノヴァ料理といった具合に郷土料理が発達しているためである。
現代イタリア料理の基盤は大変古く、古代ローマ帝国までさかのぼる。当時のローマ人は、食事にかける時間をとても大切にし、当時から1日3食の構成をとり、1食をコース料理にして2~3時間もかけて食事をする習慣があった。また、彼らは、満腹になると、鳥の羽で咽喉を刺激し、作為的に嘔吐をして、空腹になるとまた食べたという。セネカは、「ローマ人は食べるために吐き、吐くために食べる」と評している。さらに裕福なローマ人たちの間で、腕利きの料理人を呼んで料理を客に披露することが流行った。料理人達はそれぞれ競って腕を磨いて新しい料理作りに励んだことで、周辺の国々の追随を許さない優れた食文化が誕生し、これがローマ帝国の発展とともにヨーロッパ各地へと広がっていった。具体例をいくつかあげると、ローマ軍の遠征兵士のスタミナ源として携帯されたことが契機となり、同様に欧州各地に広まったチーズやメロン、牡蠣などもそうである。
イタリア料理は、フランス料理の原型でもある。1533年、フィレンツェの名門貴族であるメディチ家のカテリーナがフランスのアンリ2世に嫁いでパリに移り住む際、大勢のイタリア人料理人や香料師を連れてイタリア料理や氷菓、ナイフ・フォークの使用といったものをフランスに持ち込んだ。それをきっかけにして、当時粗野だったフランスの宮廷料理やテーブルマナーが洗練された。ちなみにフォークの爪は4本だが、これはナポリ王国国王フェルディナンド4世の宮廷でパスタがよくからんで食べやすいように爪の数を増やしたとされている。
このように、西洋を代表して世界三大料理に数えられているフランス料理は、イタリア料理の影響を受けて成長した。ローマ時代から続くイタリアの食文化が西洋料理の母的存在といわれるのは、こうした歴史によるものといえる。

こちら以外にもパスタや、ピザについても書かれています。


続いて、フランス料理をウィキペディアで調べると、

引用。
中世時代にフランスで食べられていた料理は食材を焼いて大皿に乗せ、手づかみで食事を行うという非常にシンプルなものであった(詳しくは中世料理を参照)。当時の料理の詳細はヴァロワ朝の宮廷料理人ギヨーム・ティレルの著作により伺い知れる。現在のフランス料理の原型は、ルネサンス期のフィレンツェから当時のフランス王アンリ2世に輿入れしたカトリーヌ・ド・メディシスとその専属料理人によってもたらされたと言われ、粗野であったフランス料理に変革をもたらし、ブルボン王朝の最盛期に発達した。
フランス料理はハプスブルク家の興隆と共に、ロシア、ドイツなどの宮廷に広まった。また、革命以後、宮廷から職を追われた料理人たちが街角でレストランを開き始めたことから、市民の口にも入るようになった。
19世紀に入り、カレーム、彼の弟子であるグッフェ、そしてデュボワにより大きく改革された。例えば、それまで多くの料理を同時に食卓に並べていたのを改め、一品ずつ食卓に運ばせる方式を採用した。これは、寒冷なロシアで料理を冷まさず提供するため、フランス料理の料理人が工夫したものがフランスに逆輸入されたといわれ、ロシア式サービスと称される。これを紹介したのは帝政ロシアの政治家で「ダイヤモンド公爵」と呼ばれたアレクサンドル・クラーキンとされる。寒いロシアだと料理が冷たくなってしまうからである。
そしてその流れはエスコフィエへと引き継がれた。彼はコース料理を考案したり、フランス料理のバイブルといわれる『料理の手引き』[3]を1903年に刊行した。この本は現在でもプロのシェフにとって手放せない本となっている。
その後、1930年代に、ポワン(「ラ・ピラミッド」)、アレクサンドル(「ラ・コート・ドール」)、ピックらが、エスコフィエの料理を受け継ぎながら、さらに時代にあった料理へと改良していった。
ポワンたち3人の理念は、ポワンの弟子であるボキューズ、トロワグロ兄ウーティエらに受け継がれた。フランス料理は、イタリア料理、スペイン料理、トルコ料理、モロッコ料理など歴史的にヨーロッパ・北アフリカ・西アジア料理の影響を受けてきたが、1970年代にボキューズたちは日本の懐石料理の要素を取り入れて、さらっとしたソースや新鮮な素材を活かした調理など「新しい料理」を創造し、ミヨがこれを「ヌーベル・キュイジーヌ」と呼んで、世界中に広まった。
1980年代に入ると、ロブション、ガニェール、デュカス、ロワゾー、パコーらが、エスコフィエの精神を生かしながら、キュイジーヌ・モデルヌと呼ばれる、さらに新しい料理を創造している。
料理法の発達とともに、食器、作法なども洗練され、味の良し悪しを批評する職業としての食通も生まれ、19世紀前半に、ブリア・サヴァランが『美味礼讃』を著して美食学(ガストロノミー)と美食文学の伝統を確立した。『ミシュランガイド』、『ゴー・ミヨ』などのレストランの格付けを行うガイドブックが発行されるようになった。

と、あります。
これでもかなり端折って、乱暴に短くまとめていますが、フランス料理では、いきなり偉人達の名が羅列され、非常に優秀な料理人が数多く後の世に伝えられていることは伝わるかと思います。

その違いに対する私見を綴ると、

イタリア料理は、郷土料理、地方色の強い料理を、守り、現代まで繋げて来た印象です。対するフランス料理は、地方では、郷土料理や、その地方色の強い料理を守りながら、首都パリでは、わがままな王を満足させる為に、宮廷料理人がそれらの技術を集約し、洗練させ、その技術をベースに新たな料理を生み出し、新たな感性を提案してきました。また、時代が変わり、街場でレストランを営むようになっても、料理人達とその顧客達が欲する食への飽くなき追求が、今日、フランス料理を世界3大料理のひとつに数えられるほどの完成度までに導いたのだと考えます。そしてまた、その追求の姿勢は、フランス料理に携わる者に必要な資質なのだと思います。

フランス料理は、文化のみならず、16世紀に宮廷料理として、究極の贅沢のため、金銭、技術、知識、時間を惜しみなくつぎ込み、たくさんの新たな調理法やレシピが生まれてきました。その宮廷料理の最高峰を食した18世紀のルイ16世がフランス革命により失脚し、最高峰の技術を持つ宮廷料理人達が職を失い、街に降り、民衆の為に小さなレストランを開き始めます。宮廷の頃のように金銭や時間を惜しみなく使うことが出来ないながらも、少しずつ技術は高まり、徐々に大きなレストランが出来始め、同時にまた、その時代の人々の求める料理を考案、提供し、新たな価値観の上で料理を生み出していきました。そのレシピをきちんと体系化させたエスコフィエによって、もっと、学びやすく洗練され、その後も偉業を成した数々の料理人や、偉人達をフレンチからたくさん輩出し、今なおその名声とともに語り継がれています。

こちらは私見ですので、かなりフランスびいきな内容になってしまいましたが、イタリア料理も、陽気なイタリア人のようにとても魅力的な料理ですので、機会がありましたら、イタリア料理のシェフにもお話が伺えると良いと思います。



次回 質問②「職業病はありますか。」
     ③「人気メニューは何か」
     ④「シェフになるまでに苦労したこと。」
by courtine | 2015-05-24 11:09 | 日常

感想文

前回の続き。

2015年2月12日 
 今、僕は、杉並区松渓中学校に「職業人の話を聞く会」ゲスト講師 として招かれ、結果、自己嫌悪にさいなまれつつ自転車で店に戻っているところ・・・

それはもう、道すがらず〜っと自己嫌悪。

罪・悪・感。 

何よりも生徒達の求めにきちんと答えてあげることが出来なかったという悲しい現実。教室を出てからずっと、後ろ髪は引かれ続けている…。

不甲斐ない。

やはりこのままでは中途半端すぎる。

店に戻ってすぐ、中学校に電話を入れた。

先程の「職業人の話を聞く会」の担当の先生に替わって頂く。

僕は、先程の彼らの質問をすべてFAXで送って頂きたい旨をお願いしたのでした。


そして、幾日か待ち、届いた封筒がこちら。

d0275530_10455554.jpg



FAXの調子が悪くて送れないためにわざわざ送って下さったとのことでした。
そのなかにはたくさんの紙が入っている。


そこには生徒達からのあの不甲斐ない講義への感想文が同封されていたのでした。

d0275530_1047973.jpg



目頭が熱くなるのを感じつつ、またしても生徒達に心が持っていかれる。

なんてことだろう。僕の方が大切な何かをたくさん貰ってしまっている。

これは、彼らの質問に精一杯答えるしかない。


そう感じて質問にひとつずつ答えてゆきました。


生徒達の素直な質問。ご興味がある方は…


次回 質問①「イタリアンとフレンチの違い」
by courtine | 2015-05-23 22:48 | 日常

生徒たち

3ヶ月前の 2月12日 杉並区松渓中学校から「職業人の話を聞く会」ゲスト講師として招かれました。

やはり、こういうのは嬉しいものです。休日返上で講師に行くのですが、気持ちは少し弾みながら、どんな中学生達が待っているのか、どういう話の流れで、どう攻めていこうかと考えながら嬉々として自転車で向かう。中学生と接する機会などほとんどないので、内心どのような子供達に教えることになるのかドギマギ(死語)もしていましたが(笑。 (不良がいたらどう対処すればいいのかな・・・。)

松渓中学校到着。

d0275530_2022875.jpg


「さて、フランス料理(だけでなく職人の道のかっこよさ)に目覚めて頂きます。」

正門の前でつぶやく。
門をくぐり、校舎の前でひと呼吸。彼らにとってまだおぼろげな将来のビジョンにわずかでも輪郭を与える話、暗がりに光を当てるような、将来が楽しみになるような話をしよう。と、僅かにある緊張を腹の底へ落とし、意志を固める。
 
校舎に入ると、案内されるままに控え室へ。すると10人くらいのゲスト講師の方々が既に待機されていました。

聞くと、警察署から警察官の方、アート関連では、幅広い分野でデザイナーとして活躍されている方、サッカーのコーチをされている方、科学専門で、パイプオルガンの仕組みを持って来ている講師などなど・・・。
各分野なかなか個性派揃い。これは負けられない。
本格的な料理人を目指す若者が少なくなってきていると言われて久しい昨今、ここで少しでも有望な若者を獲得せねば。なんて大局を見るような気持ちを若輩ながら抱きつつ出番を待つ。

それぞれ軽く自己紹介した後、教室からおのおのに生徒が呼びに来た。

僕には、初々しく、礼儀正しい女生徒が頬を赤らめつつ迎えに来てくれました。
それにしても、なんて感じのいい中学校とその生徒達だろう。

教室へ向かう途中も3年生くらいの大柄の男の子の何人かとすれ違うけれど中学生活を素直に楽しんでいる風が見てとれる。

教室に入ると比較的背の小さい素直そうな生徒達が待っていた。

あとから知ったのだけれど、彼らは料理や、製菓に興味のある中学1年生らしい。僕はてっきり3年生の就職活動の一環なのだと考えていたので驚きました。1年生の今、職業人の話を聞いて、2年生で各職場に見学、疑似体験に行くのだそうですね。3年生になるとあとは職業の選択。
今時の中学校は将来像を中学1年生の頃からしっかり意識させる・・・。感心してしまいました。

教室の生徒達の顔を一通り見て、何となく3年生がいないことに気付いた僕は、持っていった資料を彼らに読んでもらいながら、自分の料理人になるまでのいきさつ、その後の経験や、苦労話、フランスに渡ってからの笑い話などをフランスの魅力とともに話してゆきました。

さて・・・結論から言いましょう。50分間など「あっ!」という間でした。

手ぶらでは間が持たないかもしれない、時間が余ってしまったらどうしようかと、資料を持ってきたわけですが、その資料を読ませながら順調に40分くらい過ぎたでしょうか。資料の終盤にきたとき、僕はハッとあることに気付きます。 

強引にまとめて急いで質問タイムへ移りました。。。

その”あること”というのは・・・

実は彼らは前もって僕に聞きたい質問をきちんと用意して待っていてくれていたということでした。

前の女生徒の手元を覗くと、なんと10項くらいの質問が箇条書きで書いてある。きっと全員が10項ずつ質問を持って、質問の時間になるのを「いまかいまか」と心待ちにしていたのではなかろうか!!! 

しまった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

こんな無垢な生徒達の思いをこんな形で裏切ってしまうなんて。
考えの至らない自分のなんと情けないことか。

調子に乗って僕の昔語りなどせずに最初から彼らの質問にひとつずつ答えてあげた方がどれだけ彼らのためになったのか。きっと彼らは一生懸命に質問を考えてきてくれているに違いない。

罪悪感。

穴があったら入りたい

が、時既に遅すぎる。既に時間は残り7、8分というところか。
ここからはどれだけ彼らの質問に簡潔に、的確に答えてあげられるか。そのことで頭がいっぱいでした。

夢中になってざっと4人くらいからひとつずつ質問に答えただろうか。そのなかには「イタリア料理とフランス料理の違いを教えて頂けますか?」なんて、一言では説明出来ない質問がきて、まとめるのに四苦八苦。
しかも彼らは前のめりになって一生懸命僕の話を聞いてくれる。
ああ、なんと素晴らしい生徒達…。
生徒に感動しながら自分にがっかりしつつ必死で答えているところで無慈悲なチャイムが鳴り響く。

チャイムの余韻に僕自身のふがいなさが重なる。

彼らはまだいろいろと聞きたそうだった。
そりゃそうだ。まだ4つしか質問に答えられていないのだもの。でも、チャイムと同時に他のクラスの子供達が廊下に出て、そのはしゃぐ声が聞こえる。

彼らをこのまま拘束するわけにもいかない。

申し訳ない。
後ろ髪を引かれる思いで最後の挨拶をして、教室を出ることにしました。
最後まできちんとした挨拶だった。

ああ、申し訳ない。

しかし、講師にきた先生が落胆した姿で帰る姿を見せるわけにもいかない。

颯爽と教室を後にした(つもり)。

そして、他の講師の方々と合流し、挨拶をして、解散となったのでした。

ちなみに他の講師の方々は、なんだか慣れた感じで控え室で今回の「職業人の話を聞く会」について、話し合っていました。ちょっと聞こえてきた内容だけでも、興味を引く内容に聞こえる。面白そうな話をしてきた余韻が伝わる。

d0275530_20474095.jpg


パイプオルガンの原理。 スイッチを入れると同じ筒を叩いでも違う音がする。(これを見て僕も講義を聞きたく思いました。)


課題の残る初講義となりました。



「感想文」へ続く



感想文

質問①「イタリアンとフレンチの違い」 

質問②「職業病はありますか。」
  ③「人気メニューは何か」
  ④「シェフになるまでに苦労したこと。」


質問⑤「こだわっている部分」 長いです(汗

質問⑤「こだわっている部分」  後編 長いです。。

質問⑥「勤務時間」
  ⑦「メニューは誰が考えているのか。」
  ⑧「いつ今の仕事になりたいと思ったか。」


質問⑨「何年くらいこの仕事をしているのか」
  ⑩「今出来ること」
  ⑪「どのような思いで料理を作っているか。
  ⑫「材料はフランスから輸入していますか。」



生徒達の感想文
by courtine | 2015-05-23 20:50 | 日常

コンサート・グルマンディーズ  満員御礼!

5月15、18日に開催した「コンサート・グルマンディーズ 2015 皐月」 は、おかげさまで、2日間ともに満席となりました。16日は最終的に定員をオーバーしてしまい、急遽席を増やしてのご対応になりまして、ひとえに、クルティーヌを応援下さる皆様のお陰だと思います。

今回は日本の曲なども織り交ぜて、編曲にはとてもご苦労をされたようですが、そのぶんとても興味深く、いろいろな音色の楽しめるコンサートでした。
僕は音楽についてはずぶの素人ですが、曲目のながれや、演奏のなかに、料理のコースのような気遣いも感じられて、改めて感動致しました。

白土先生、田島さん、素晴らしい演奏をありがとうございました。


どのテーブルもとても素敵な雰囲気で、レストランがとても心地のよい、和やかな空間だったように思います。
ご来店下された皆様,本当にありがとうございました。


次回は10月23(金),24日(土)にコンサート・グルマンディーズ第3回を企画しております。
次回もどうぞ宜しくお願い申し上げます。


ラ・メゾン・クルティーヌ
        善塔一幸

d0275530_22231641.png

by courtine | 2015-05-18 22:23 | イベント