質問⑤「こだわっている部分」  後編

胡椒は3000年とも言われる長い歴史を持ち、インド・バラモン教の聖典に既にその名が登場しています。同じころに作られた叙情詩「ラーマーヤナ(ラーマ王子の冒険)」にも、「塩と胡椒で食べる食べ物」という記述があり、既にこの香辛料が一般化していたようです。
この香辛料はほどなく、アーリア人(インド系ヨーロッパ人)の手を経てヨーロッパに伝えられ、古代ギリシアやローマで頻繁に使われていました。

当初は食用(香り、味を楽しむもの)というよりは、「医薬品」としての側面が強いようで、「医学の父」と呼ばれた紀元前5世紀ごろの医学者ヒポクラテスは、その著書の中で「胡椒と蜂蜜と酢を混ぜたものは婦人病に効く」と書き残しています。
以後2000年以上に渡って「香辛料の王」としての地位を確立していくことになります。


胡椒が最も活躍した時代は、古代ローマかもしれません。この時代には、通常の料理だけでなく、ワインや魚醤(魚から作った調味料)にも混ぜて使われ、当時の書籍にも胡椒を意味する言葉が頻繁に出てきます。
あまり暖かくないローマでは、胡椒を育てることはできないので、常に高値で取引され、その保有量は権力と財力の証になりました。インドへ向かう船は胡椒と交換する金銀で一杯になったと言います。
使用する時は、この胡椒を面子にかけても使いまくったので、宴会のたびに莫大な金銀と胡椒が消費されたそうです。
この頃消費される胡椒は、だいたいがインド原産の長胡椒で、丸い胡椒はあまり使用されず、長胡椒が白・黒胡椒より高く取引されました。

1世紀の博物学者プリニウスは、著書「地域史」の中で「野生生物の種に過ぎないのに金銀と同じ値段がする!」と書き残していますし、同じころのローマ皇帝ドミティアヌスは、戦略物資としてこの香辛料を大量に保有していました。
1世紀のローマでは金や銀と胡椒が同重量で交換されていたようで、一つかみの胡椒と、牛一頭が交換されたとも言われます。


12~14世紀になると、従来の長胡椒に替わって丸い白・黒胡椒が使用されるようになりますが、高価である、という部分は替わらず、しばしばその高い価値から、法定通貨や”年貢”として通用することもありました。中世ドイツでは、役人の給料を胡椒で支払ったと言いますし、また、罰金や持参金、税金の代わりに胡椒を収めるのは、中世ではよく見られる光景となりました。

イギリスでは、地主たちが小作料を胡椒で支払うよう要求したとも言われ、その名残は今でも、「名目だけのわずかな家賃:賃貸料」を意味する「ペッパーコーン・レントPeppercorn Rent」という言葉に残っています。

胡椒はまた、シルクロードを経て中国にも運ばれ、一部地域では栽培も行われています。マルコ・ポーロの「東方見聞録」にも、中国の杭州(上海に近い中国南部の暖かい地域)では、かなりの量の胡椒が栽培された、ということが記されています。
また、胡椒の一大産地であるジャワには、多数の中国人が常駐し、彼らが中心となっていくつもの秘密結社(胡椒マフィア)が結成されました。彼らの脅威から逃れるために、一部の国は取引の本拠地を他に移さざるを得なかったこともあったそうです。

日本には遣唐使を通じて奈良時代に持ち込まれており、東大寺正倉院の宝物にも、胡椒の実が含まれていたことが記録から分かっています。


胡椒は寒いヨーロッパでは育てられません。遠いインドから運ばれたものに頼らざるを得ず、中世ヨーロッパでも目の飛び出るような値段で取引されたそうです。
ヴェネチアやコンスタンティノーブル(現在のイスタンブール)は、胡椒の交易で大いに栄え、それは東ローマ帝国が存在し続ける限り続きました。

1453年に、東ローマ帝国(ビザンチン帝国)がオスマン・トルコ軍に滅ぼされると、シルクロードがトルコで分断され、胡椒の陸上ルートが分断されます。
そこで、各国はシルクロードに替わる、新しい輸送ルートの開発へ躍起になりました。のちに「大航海時代」と呼ばれるほどの多くの冒険が行われた背景には、胡椒をはじめとする香辛料の獲得、という目的があったと言われています。

アフリカ周りのインド航路を発見したバスコ・ダ・ガマの持ち帰った数々の香辛料は、仕入れ値の60倍の値段で売られたと言われていますし、また、マゼラン艦隊が船に積んだ7万ポンド(約32トン)の香辛料は、航海費用を差し引いても、なお巨額の「お釣り」がくるほどの利益を、乗組員にもたらしたそうです。

ポルトガルやオランダといった新興国は、これらの香辛料の輸送ルートを確保することで、海運の覇権を握ったとも言われています。

こうして運ばれてきた胡椒は、古代ローマ・ギリシアと同じように、中世ヨーロッパでも権力と財力の証として使われるようになり、貴族は料理にこの香辛料をこぞって使いました。彼らは、それらをふんだんに使うことで、自分がいかに立派で、多くの財産を持っており、気前がいいかを誇示したのです。

いまとは価値観が全く逆ですが、当時の宮廷で言う「高級な料理」とは、お金をかけ、より珍しい食材を遠方から求め、鮮度の落ちたその食材を高価である香辛料を惜しみなく使い腐敗を防ぎ、香り付けをしたものでありました。

鮮度の良いものが手に入る現代、より味わいの複雑さ、香りの厚みを求める高級フランス料理やイタリア料理などでは、当時の宮廷料理から派生した香辛料を使う料理の流れが残っています。

しかし、それは、王朝が崩れ、地位ある宮廷料理人が野に追いやられ、それでも生きる為にレストレー(元気を回復する場所という意味)を開き、安価なポトフを振る舞い、必死で努力した結果、民衆の支持を少しずつ得て、少しずつ料理の質を高め、レストランとして確立していく変革の時代が背景にあります。
偉大と言われるシェフ達の緻密な洗練と努力の過程を経て、継承されてきたテクニックや、感性は、今もなお色あせず、西洋料理の礎となり、胡椒は”スパイスの王”であり続けています。



次回 質問⑥「勤務時間」
   質問⑦「メニューは誰が考えているのか。」
     ⑧「いつ今の仕事になりたいと思ったか。」
by courtine | 2015-05-26 09:00 | 日常
<< 質問⑥「勤務時間」 ⑦「メニュ... 次回  質問⑤「こだわっている... >>