「イタリアンとフレンチの違い」
いきなりここからか…。 講義でもざっくり(かなりざっくり)話しましたが、やはり詳しく知りたいのでしょう。 正直どこまで掘り下げて書けばいいのか・・・、当初非常に困りました(汗。 悩みに悩んだ末に行き着いたのは、インターネットのウィキペディアをそのまんま引用すること(不甲斐なくてすいません…)。 け、決して楽をしたかったわけではなく、出来る限り正確に、簡潔に、分かりやすく、を真摯に考えたすえのウイキさんでした。 と、いう前置き(言い訳を)を少し汲んで頂いて、この題目にご興味のある方はどうぞ御覧下さい。 「イタリアンとフレンチの違い」 インターネットのウィキペディアに ”イタリア料理” として詳しくのっているので、そちらから引用しながら、私見を伝えたいと思います。 引用。 イタリアンは素材を生かした素朴な料理が多い。 南北に長いイタリアは地理的にも多様な特徴があること、イタリア王国による統一まで多数の独立国家があり、その国ごとにまったく特徴の異なる、例えば、ナポリ料理、ジェノヴァ料理といった具合に郷土料理が発達しているためである。 現代イタリア料理の基盤は大変古く、古代ローマ帝国までさかのぼる。当時のローマ人は、食事にかける時間をとても大切にし、当時から1日3食の構成をとり、1食をコース料理にして2~3時間もかけて食事をする習慣があった。また、彼らは、満腹になると、鳥の羽で咽喉を刺激し、作為的に嘔吐をして、空腹になるとまた食べたという。セネカは、「ローマ人は食べるために吐き、吐くために食べる」と評している。さらに裕福なローマ人たちの間で、腕利きの料理人を呼んで料理を客に披露することが流行った。料理人達はそれぞれ競って腕を磨いて新しい料理作りに励んだことで、周辺の国々の追随を許さない優れた食文化が誕生し、これがローマ帝国の発展とともにヨーロッパ各地へと広がっていった。具体例をいくつかあげると、ローマ軍の遠征兵士のスタミナ源として携帯されたことが契機となり、同様に欧州各地に広まったチーズやメロン、牡蠣などもそうである。 イタリア料理は、フランス料理の原型でもある。1533年、フィレンツェの名門貴族であるメディチ家のカテリーナがフランスのアンリ2世に嫁いでパリに移り住む際、大勢のイタリア人料理人や香料師を連れてイタリア料理や氷菓、ナイフ・フォークの使用といったものをフランスに持ち込んだ。それをきっかけにして、当時粗野だったフランスの宮廷料理やテーブルマナーが洗練された。ちなみにフォークの爪は4本だが、これはナポリ王国国王フェルディナンド4世の宮廷でパスタがよくからんで食べやすいように爪の数を増やしたとされている。 このように、西洋を代表して世界三大料理に数えられているフランス料理は、イタリア料理の影響を受けて成長した。ローマ時代から続くイタリアの食文化が西洋料理の母的存在といわれるのは、こうした歴史によるものといえる。 こちら以外にもパスタや、ピザについても書かれています。 続いて、フランス料理をウィキペディアで調べると、 引用。 中世時代にフランスで食べられていた料理は食材を焼いて大皿に乗せ、手づかみで食事を行うという非常にシンプルなものであった(詳しくは中世料理を参照)。当時の料理の詳細はヴァロワ朝の宮廷料理人ギヨーム・ティレルの著作により伺い知れる。現在のフランス料理の原型は、ルネサンス期のフィレンツェから当時のフランス王アンリ2世に輿入れしたカトリーヌ・ド・メディシスとその専属料理人によってもたらされたと言われ、粗野であったフランス料理に変革をもたらし、ブルボン王朝の最盛期に発達した。 フランス料理はハプスブルク家の興隆と共に、ロシア、ドイツなどの宮廷に広まった。また、革命以後、宮廷から職を追われた料理人たちが街角でレストランを開き始めたことから、市民の口にも入るようになった。 19世紀に入り、カレーム、彼の弟子であるグッフェ、そしてデュボワにより大きく改革された。例えば、それまで多くの料理を同時に食卓に並べていたのを改め、一品ずつ食卓に運ばせる方式を採用した。これは、寒冷なロシアで料理を冷まさず提供するため、フランス料理の料理人が工夫したものがフランスに逆輸入されたといわれ、ロシア式サービスと称される。これを紹介したのは帝政ロシアの政治家で「ダイヤモンド公爵」と呼ばれたアレクサンドル・クラーキンとされる。寒いロシアだと料理が冷たくなってしまうからである。 そしてその流れはエスコフィエへと引き継がれた。彼はコース料理を考案したり、フランス料理のバイブルといわれる『料理の手引き』[3]を1903年に刊行した。この本は現在でもプロのシェフにとって手放せない本となっている。 その後、1930年代に、ポワン(「ラ・ピラミッド」)、アレクサンドル(「ラ・コート・ドール」)、ピックらが、エスコフィエの料理を受け継ぎながら、さらに時代にあった料理へと改良していった。 ポワンたち3人の理念は、ポワンの弟子であるボキューズ、トロワグロ兄ウーティエらに受け継がれた。フランス料理は、イタリア料理、スペイン料理、トルコ料理、モロッコ料理など歴史的にヨーロッパ・北アフリカ・西アジア料理の影響を受けてきたが、1970年代にボキューズたちは日本の懐石料理の要素を取り入れて、さらっとしたソースや新鮮な素材を活かした調理など「新しい料理」を創造し、ミヨがこれを「ヌーベル・キュイジーヌ」と呼んで、世界中に広まった。 1980年代に入ると、ロブション、ガニェール、デュカス、ロワゾー、パコーらが、エスコフィエの精神を生かしながら、キュイジーヌ・モデルヌと呼ばれる、さらに新しい料理を創造している。 料理法の発達とともに、食器、作法なども洗練され、味の良し悪しを批評する職業としての食通も生まれ、19世紀前半に、ブリア・サヴァランが『美味礼讃』を著して美食学(ガストロノミー)と美食文学の伝統を確立した。『ミシュランガイド』、『ゴー・ミヨ』などのレストランの格付けを行うガイドブックが発行されるようになった。 と、あります。 これでもかなり端折って、乱暴に短くまとめていますが、フランス料理では、いきなり偉人達の名が羅列され、非常に優秀な料理人が数多く後の世に伝えられていることは伝わるかと思います。 その違いに対する私見を綴ると、 イタリア料理は、郷土料理、地方色の強い料理を、守り、現代まで繋げて来た印象です。対するフランス料理は、地方では、郷土料理や、その地方色の強い料理を守りながら、首都パリでは、わがままな王を満足させる為に、宮廷料理人がそれらの技術を集約し、洗練させ、その技術をベースに新たな料理を生み出し、新たな感性を提案してきました。また、時代が変わり、街場でレストランを営むようになっても、料理人達とその顧客達が欲する食への飽くなき追求が、今日、フランス料理を世界3大料理のひとつに数えられるほどの完成度までに導いたのだと考えます。そしてまた、その追求の姿勢は、フランス料理に携わる者に必要な資質なのだと思います。 フランス料理は、文化のみならず、16世紀に宮廷料理として、究極の贅沢のため、金銭、技術、知識、時間を惜しみなくつぎ込み、たくさんの新たな調理法やレシピが生まれてきました。その宮廷料理の最高峰を食した18世紀のルイ16世がフランス革命により失脚し、最高峰の技術を持つ宮廷料理人達が職を失い、街に降り、民衆の為に小さなレストランを開き始めます。宮廷の頃のように金銭や時間を惜しみなく使うことが出来ないながらも、少しずつ技術は高まり、徐々に大きなレストランが出来始め、同時にまた、その時代の人々の求める料理を考案、提供し、新たな価値観の上で料理を生み出していきました。そのレシピをきちんと体系化させたエスコフィエによって、もっと、学びやすく洗練され、その後も偉業を成した数々の料理人や、偉人達をフレンチからたくさん輩出し、今なおその名声とともに語り継がれています。 こちらは私見ですので、かなりフランスびいきな内容になってしまいましたが、イタリア料理も、陽気なイタリア人のようにとても魅力的な料理ですので、機会がありましたら、イタリア料理のシェフにもお話が伺えると良いと思います。 次回 質問②「職業病はありますか。」 ③「人気メニューは何か」 ④「シェフになるまでに苦労したこと。」
by courtine
| 2015-05-24 11:09
| 日常
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